2011年9月17日(土)13:30~放送 Vol.3『瀬川清子』 (放送は終了しました)

  • 明治28年、岩船源太郎、スケ夫妻の長女として瀬川清子は鹿角市毛馬内で生まれた。
  • しかし母は産後の肥立ちが悪く、清子を産んでまもなく他界。
  • 清子が2歳のとき父の後妻となった継母・イマは、京都大学で東洋史学を確立させた内藤湖南博士のいとこにあたる人で、 女の清子の教育にも熱心であった。
  • 小学校卒業後、教師となった清子は同じく教師であった瀬川三郎と22歳のときに結婚する。
  • その後、日本で初めて女性の大学入学に門戸を開いた東洋大学に学び、東京へ住まいを移す。
  • 瀬川清子 採集手帳
 
  • 旧制 東京市立第一中学で教職に就いていた昭和8年、能登輪島から50km先にある孤島・舳倉島(へぐらじま)の海女たちと 寝食をともにして書いた「舳倉の海女」が民俗学者・柳田国男の目に留まり、柳田が自宅で開催していた研究会・木曜会へ招かれるようになる。
  • 北は北海道から南は沖縄まで日本全国150カ村を渡り歩き、採集の旅を続けた瀬川清子。
  • 女性の視点から女性たちの暮らし、文化などを研究し、女性民俗学に多大な功績を残した。
  • それを支えた夫との愛などを紹介しながら日本において女性民俗学者の魁となった瀬川清子の生涯に迫る。
  • 瀬川清子 夫との愛などを紹介しながら日本において女性民俗学者の魁となった瀬川清子の生涯に迫る。
 
  • ゲストコメンテーター:斎藤長八(瀬川清子研究家)