4期16年にわたり秋田県政のかじ取り役を務めた佐竹敬久知事が、19日に任期満了を迎えます。旧秋田藩主・佐竹氏にルーツを持つことから「殿」の愛称で県民に親しまれた一方で、16年の歩みは決して平たんなものではありませんでした。次の世代にバトンを託す知事に思いを聞きました。
4期16年務めた知事の職。77歳と現職の知事としては全国最高齢の佐竹敬久知事が19日に任期満了を迎えます。
佐竹知事といえば、1年の始まりや終わりなどの節目に一字で決意を示したり振り返ったりすることが定番。締めくくりにあたり、16年間を一字で表してもらいました。
佐竹知事が掲げたのは「激」という一字。この16年間、日本はもちろん世界を取り巻く情勢が目まぐるしく変わる、まさに“激動”の日々だったと振り返ります。
佐竹知事:
「県庁入庁の時はオイルショック。知事になった時はリーマンショック。東日本大震災、大雨災害、今まさにトランプショック。ショック、ショック、ショックです。社会人になってから節目にはショックが起こる」
加えて、自身の言動が議論を呼ぶことも少なくありませんでした。
大雨災害の際に旅行先から戻らなかったり、「比内地鶏は硬い」と発言したり、四国の名物・じゃこ天を「貧乏くさい」と話し、緊急で開いた記者会見では「先般の四国の発言について大変に不穏当、不見識な発言であったと思います。心からおわびを申し上げたいと存じます」と陳謝しました。
一方で、市街地に出没したクマの駆除を批判する電話やメールの対応で疲弊する職員を守るため「お前のところにクマを送る」などと発言することもありました。
佐竹知事:
「クマの苦情に対する批判の電話に対しては恣意(しい)的に意識的にやった。あのくらい言わないと伝わらないと思った。ただし『比内地鶏は硬い』などは、言ってから『ばかじゃないか』と。言ってすぐにばかじゃないかと思う。この癖が私の一番の欠点。恣意的に言った部分はまだいいが、不用意に発言してしまったものは人間の浅さだと思う。反省している」
知事就任前は、辞職するまでの7年余り秋田市長を務めた佐竹知事。その間、全国市長会の会長を経験しました。知事として県政課題に向き合うとき、その経験が大きな財産になったといいます。
佐竹知事:
「全国市長会の会長を務めた経験が国との人脈になった。国とのパイプが全てではないけれど、その経験が相当役立った」
ーーその中で最重要課題として取り組んできたことは何でしょうか?
「県内経済にマイナスの影響をいかにとどめるかということ。自然災害は人命。経済も人命と財産。最終的には県民の生活と安全、全部が経済にかかってくる」
ーー成果は?
「いかに経済力を強くするか。全て自分でやろうと思っても無理。いかに投資を呼び込むか。秋田の中に金が入ってくるようにする」
実際に佐竹知事が16年間に誘致認定した企業は158件に上ります。このうち、1年間の認定数が最も多かったのが2023年度で24件。締めくくりの4期目に確かな成果が見えたといえます。
一方で、全てが順風満帆なわけではありませんでした。
1期目途中の2011年、記者会見の途中に体調不良を訴えた佐竹知事。診断は「脳出血」で2カ月近い入院を余儀なくされたこともありました。
それでも任期を全うした上に、その後3期連続で知事の職に就きました。「辞職を考えたことはない」と話します。
ーー原動力となったものは何でしょうか?
「やっぱり使命感。今でも後遺症は残っていて滑舌が悪い部分はある。今も食欲旺盛。肉中心の食生活が支えている」
“使命感”と“食”がその後の健康を支えていたようです。
もちろん愛するあの家族の存在も大きかったようです。
佐竹知事:
「猫ちゃん、ニャーとくるのが癒やし。動物がかわいいんだな」
ーー鈴木新知事にメッセージをお願いします。
「戦略として全体、風力発電も農業も基本方針は(自身と)ほとんど変わりがない。それをどう実現するか。戦術の部分はよりきめ細かく。年齢は二回り違うので、若い感性で取り組んでほしい」
――最後に県民にメッセージをお願いします。
「言動などでご心配をかける場面があったと思うが、カバーしてもらって温かい目で見てもらった。本当に感謝している。県民の皆さんのおかげで16年間務められた。本当に皆さんに感謝する」
佐竹知事の任期は19日まで。18日午後、県職員として、知事として長きにわたり通った県庁舎に別れを告げます。
04月17日(木)21:00